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ラベンダ−

ラベンダーの香り。もっとも名前が知られているハ−ブ。使い道も色々。夏、紫に染まるラベンダ−は今では、あちこちで見られる。たくさんの人を魅了するハ−ブの女王だ。

深まる秋

ついこの間まで、青々としていた田んぼが、実りの秋を迎えた。コンバインがあちらでも、こちらでも、動き回り、家族の連携仕事で、黄金色の稲穂が刈り取られていく。いつ見ても、良い風景である。

わが国は瑞穂の国。米は主食と言われ古来大切な食物だ。秋が深まるにつれ、松本にも幾つもの秋の恵みが実り、私たちを楽しませてくれる。

梓川を渡り、安曇野の三郷、堀金あたりのりんご畑は収穫が始まろうとしている。畑のたわわに実ったりんごや梨を眺めながらドライブを楽しみ、地元の産物を売るお店で取れたての野菜や果物を買うことができる。地産地消は生産地ならではの恵みである。一つ一つに生産者の名前が記され、工夫されて生産された品物がならんでいる。

秋は松本暮らしには、うれしい季節だ。信州名物の蕎麦の花も今はまだ、楽しむことができる。高い空、高い山、澄んだ空気、おいしい食べ物、なんとも贅沢な季節を生きている。

バラ

四季咲きのバラが咲き始めた。暑い夏にも負けず。育てるのに気を使う花だけど、咲いているのを見ると幸せな気持ちになる。お転婆な私でもエレガントな気分にしてくれる。バラはそんな、花。

秋の気配

オミナエシが咲いている。萩が咲き始めたから、オミナエシもと思ったら、案の定。巡ってくる季節。自然がくれる優しい時間だ。心も優しくなろう!

ジギタリス

狐の手袋という、面白い名前が英語でついています。

庭の草取りから

松本に来て、まず、始めるのが、庭の草取り。 土のにおいを嗅ぎながらひたすらに草を引く。単純な作業だけど、不思議とやめられなくなる。草と、地面と向き合うとなんとなく、自分が癒されていくのを感じる。

気がつくと大きなビニール袋が幾つもできる。コンポストがまだ無いものだから、草木ごみとして出すことになるけど、近いうちにコンポストは必要だと思っている。生活から出るごみはできるだけ、自然に近いものを使用し、自然に返していこうと思う。 自然から受ける恵みは大きいのだから。

松本に来ていつも思うのは、自然の豊かさである。日本の地方に行けば自然は豊かな実りとともに
私たちを待っていてくれるのだ。大事にしていかなければ。便利さと経済というプアゾンに負けない事は大事いことだ。本当の豊かさの価値を見つけて欲しい。

久しぶりの雨降り

今朝は久しぶりの雨降り。今まで、からからだったので、なんとなくうれしい。きっと、畑のトマトたちも喜んでいるだろう。 洗濯物が乾かないな っておもうけど、雨降りのほうがうれしい。

ここ、松本は地区によっても、雨が振ったり、振らなかったりするけど、雨降りは夏場は本当に少ないように思う。今年に限ったことなのだろうか?それとも、異常気象といわれて久しいけど、その影響で気候が変化してきているのだろうか?

私たちは、この気候変化から、何を学べばいいのか? 自然は何を私たちに警告しているのだろうか? もっと謙虚に自然に向き合わなくてはいけない。押さえつけようとするのではなく。共存しなくては。人間も自然の一部なのだから。

道端のハ−ブ

ハ−ブはどこにでも咲いている。洋の東西を問わず。たまたま、ハ−ブという言葉と私たち日常が結び付き、トレンドとして受け入れられたという訳だ。それまでは、漢方薬とされてきた。確かに、私、漢方薬を飲んでいるのよ。では、オシャレじゃないものね。日本人にはごく普通のよもぎも、しそも、お茶も立派なハ−ブなんです。道端に咲く草の中にたくさんハ−ブの仲間がありますよ。ちょっとだけ、気をつければ、私たちのすぐそばにそっと、あるのです。ヨモギのお茶は新芽を一年を通して楽しめますよ。ポットのハーブティーはよもぎとレモンバームです。

梓川河畔

梓川は遠く上高地にもつながる川である。水はとうとうと流れ、河畔はアカシアをはじめ、いろいろな木々が繁茂し、整備された川岸は恰好の散歩道となっている。水音を聞きながらの散歩はまことに気持ちよく、良いところだなあ と思ってしまう。

水の音には、心を和ませるというか、癒すというか、そんな働きがある。子供のころから、いつも、川の近くに住んでいた。夏休みはいつも、川遊びと決まっていた。母の実家に行くと、屋敷森の後ろは子供には川幅広く感じられた川があり、泳いだり、魚を釣ったり、網ですくったり、たらいを舟に見立ててのってみたりと楽しい夏休みを過ごしたものだ。川に続く道を下ると洗濯をする場所や、野菜を冷やしておく水溜まりがあってトマトやナス、キュウリ、スイカが冷やしてあった。遊び疲れるとそれらを失敬して、食べていた。夏の思い出は尽きない。

梓川は残念ながら、そんな生活の匂いはしないけど、皆が楽しめる散歩道として貢献度大である。

松本の天気

今日も、松本はお日様が出てきたとたん、気温はどんどん上がって、いやいや、暑いこと暑いこと。
朝、6時を過ぎると、暑くなりだす。5時ごろから地元の皆さんは散歩に出るみた
いだ。以前、ご近所の一斉掃除があったとき、朝6時からとお触れがあったので、そのころの私の常識として遅寝遅起の習慣もあって、ギョッとなっておそるおそる、9時の間違いでは と聞き返して失笑を買ってしまった。このあたりの常識は注意が必要だ。

また、話が脱線してしまった。天気の話だった。
今日、豊科に用事があって出かけたところ、時間は3時頃だったろうか。突然の土砂降りとなった。ところが、松本に帰ってみると雨の降った気配も無い。こんな雨降りの境目を見ることは間々あることだけど、不思議なことである。雨雲の気分なんだろうか?

きっと、科学的には何でもないことなんだろうが、私は不思議な出来事として取っておきたいと思っている。
                                                              

松本の夏

松本の夏は日が昇るとカッと暑くなる。陽射しが相当強いんだろうなって思えるほどに強い。
救いは東京に感じるムアッーとした熱湿気がないことだ。なんだか、毎年暑さが尋常じゃなくなって
以前は無かった「猛暑」なんて言葉も違和感がなくなってきた。

地球温暖化が叫ばれて久しいけど、CO2削減が世界で問題になってるけど、震災以降、原発問題もあって、わが国では全てが頓挫した感がある。日本の夏は暑さということでは、確かに変わって来ている。松本でも以前は要らなかったエアコンは当たり前になってきた。そして、それらの小さな便利さは、また確実に温暖化に貢献している。各地の例に漏れず、大型電気店はこの夏の大忙しということだ。

経済活動と自然破壊、この壮大な問題はどうにかならないだろうか?
少しの我慢と少しの不便、少しの気持ちの切り替えができないのだろうか?
この原発問題の起こった根源もそこにあるのではないか?

今年の夏から

今年の夏から、東京と松本を行ったり来たりという生活をすることになった。

ちょっと前までは、週末は千円で来ることができたのに、今は3600円ほどになる。高速料金は民主党は無料にするといっていたのに、震災や原発事故などいろいろなことがあり、そんなことは遠い夢になってしまった。

被災された人たちにとっては、本当にいったい何が起こったのだ。私の人生に何をしてくれるのだ。言いたいのではないかと思う。まったく、生きていると何があるかわからない。そうかこれが生きているということなのかもしれない。

一寸先は闇 という言葉について、以前、人生の大先輩である人と話したことがある。人は先がわからないから生きていけるのだ。それを示すのがこの言葉だと教えてくれた。あの戦争に従軍し、生き残って来た彼の、一つの真実だろうと思う。

今回の災難もきっと、ごく普通の人たちの努力と忍耐で、乗り越えて行けるだろう。人間は思っているほど弱くはないし、本能的に生きて行くにはどうしたらいいか ということがわかるものだ。
確かに、どうすることもできないことの支援は必要とするだろうけど、その状態から立ち上がって行くのは、一人一人の気持ちだから。この一寸先は闇 ということを思いながらこれは「希望がある」というメッセージだと合点した。

私も、この夏から松本で暮らすことになった。今日一日の暮らしを楽しみながら、それを重ねて行こうと思う。
それにしても、暑い。こんなひどい暑さも人間の欲望が自然の営みに介入していた結果だとしたら
人間の一人として謙虚にならなくてはと思う。新しく松本で暮らすチャンスを与えられて、スローライフを楽しもう。






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